『ナオキ・ニシガキ 独立の道』

めざすは和歌山きっての『フリーランス』、“働く”を考え、“和歌山” を伝える 優しいテロリストの犯行声明ッ!

【やるしかねぇぞ】母の死に想う 今日の迷いと決断の意味~



まずはじめに、


この記事はもともと
コンテスト用に書き下ろしたものでなく

ブログ道における友人であり、
尊敬する先輩である


クッキング父ちゃん (id:kukking10chan) 氏のススメによって


すでに投稿していた記事をリライトしたものです。



背中を押してくださった
クッキング父ちゃん (id:kukking10chan) 氏、


また、すでにお読みいただき

共感くださった皆さんには 改めて感謝申し上げます!




それでは以下本編〜







『一寸先は闇』、ボクの人生観。


悲観しているワケじゃありません。

しかしある出来事をきっかけに、
漠然とした未来への期待は捨てました。



誰の人生にも ”物語” があります。


『迷い』『決断』


これらを繰り返し
ボクらは自分の物語をカタチにします。


この記事が、読んでくれたアナタの物語の一部になれたら

こんな幸いなことはありません。



これは 不確かな人生を受け入れ
最善を尽くす価値に気づいた男の物語。






目次~

大学時代(1回目、2006年)


大阪産業大学 (1回目)



そう、"1回目" 。


つまり2回目があるのです。




小学生の頃に
将来の夢を『おもちゃ屋さん』と書き、

その後 少し脱線しつつも


最終的に ボクの夢は

『おもちゃの企画・開発』になっていました。




しかし、せっかく大学に進学したものの、



半年で退学。
(!!!)



まぁ、当時の家庭の事情ってやつです。




以後2年半ほどフリーターに。




フリーター時代 (1回目)


大学を退学してからはアルバイトに明け暮れる日々。


2007年、二十歳。


人生初の彼女ができます。


バイト先のコでした。





…がッ




盲目的になりすぎたこと、その他もろもろで



家族、友達、バイト先、

周囲に大迷惑をかけます。



限りなく黒歴史に近い思い出 (苦笑)





しかし、

線香花火のごとく "瞬間" に全生命を燃やした、

わずか6ヶ月の 熱狂的な恋愛は


その後の自分の生き方を変える

大きな転機になりました。




●もっと "自分" をもつこと。

●自己肯定すること。

●群れずに行動できるようになること。



周囲の評判は最悪でしたが


お嬢さま育ちで 怖いもの知らずなあのコは

自分にないものであふれていて


いつしか自分のヒーローになっていました。



"人生を変える出会い"



そんなものがボクにも人並みにあったとすれば

まさしくコレがそう。




時間経過による美化を否定しませんが (笑)


後にも先にも これほど印象的で
熱い出会いはありません。






それから 2年後の2009年、

家庭内のゴタゴタにより
母は家を出て ボクらと別居。


以後 5年、連絡をとりませんでした。



色々あったのですが ボクも原因のひとつ。


この頃、ボクは少し荒れていたのです。

バカめ……





大学時代 (2回目 ) ① (2009年~2013年)



前回と同じ 大阪産業大学に再入学!!




すべては おもちゃの開発職に就くため、

業界最大手『バンダイ』をめざすためにッ!!!!!
( 高卒では採用試験の応募資格がありませんでした )




大学時代 (2回目 ) ② (2009年~2013年)


前述した彼女の影響によって
自分を変えようと躍起になっていたこの頃、


サークルの立ち上げ、
ボランティア活動、ひとり旅、



これまで受動的に過ごしてきたボクは
とにかく自分から動いてみました。



東日本大震災の復興支援ボランティア、

岩手県 大槌町へ。




その後 和歌山南部での台風による被災支援、

祭事のスタッフに参加。



※ 和歌山『竹燈夜 祭り』〜 ⇩
( 毎年10月、和歌山城にて開催〜 )




ひとり旅、原付で和歌山1周。

野宿しながら3日かけてのんびりと。



『橋杭岩』



『那智の滝』



ターコイズブルーな 新宮の川!(笑)



※ 野宿した 『道の駅 なち』





……が、意外と調子よくすすんでしまい


奈良まで遠征(笑)




ここで後の進路に影響する出会いが……




大学時代 (2回目) ③ (2009年~2013年)

深夜0時を前にしたJR奈良駅 、


今夜の寝床を探していたボクは
夜風に吹かれ 駅前の広場で腰かけていました。



じつはこのとき、ひと際 異彩を放つ

謎の存在に目を奪われていたのです。




駅前広場のベンチ、
長い髪をたらし 腹を抱えるようにうなだれる


”謎の貞子”
(!!!)





確実に浮いてたんですよね!


帰宅するサラリーマンが
たまに声かけるも 反応はありません。

やがて みんな去っていきます。



実はこの光景、

1時間ほど黙って見てたのがボクです (おい!)



ついに誰もいなくなり、意を決して声をかけます。

怪しまれぬよう学生証を提示しながら いざッ!




「おいキミ、大丈夫か?」









なんとそのコは17歳の女子高生でした。



こんな時間に なぜひとりで……


理由は以下 ⇩


●母子家庭、母の連日の暴力に耐えかね 家出してきた。

●友達には事情を知られたくないので 頼るアテもない。





ニシガキ、
ショック……






なんということだ…、
テレビの世界のハナシだろ こんなのは。



えらいこっちゃ! どうすべきだッ!

えぇい落ち着けッ!
とにかく このままサヨナラとは言えまい!




とりあえず近所のコンビニで買い物し
食事を与えます。



そして アテがないなら
せめて自宅に帰るまではと思い、

そのまま朝6時まで 駅で話して過ごしました。



睡魔に根負けした女子高生は ようやく帰宅の決意。

有事の際はと、連絡先を書いたメモをわたし


サヨナラします。





そして後日、警察にはそのような虐待行為を取り扱う

『生活安全課』があることを知り、

ボクは関心を寄せるのです。


( しかし おもちゃ業界への夢がすでにあったので
     当時は警察官をめざしませんでした~ )




そう、警察に行けば保護もしてもらえただろうし

解決の糸口になったかもしれません。


でもボクはそのときアタマが回らなかった。

後悔しています。



後日 お礼の連絡をもらいましたが

きっと なんの解決にもなっていない。




大学時代(2回目) ④ (2009年~2013年)

就職活動。





ボクは入学前から自分の進路を考えていたので

大学の就活センターに世話になることもなく


黙々と1人で行動し、
業界最大手のおもちゃメーカー、バンダイに応募。




全6次 (!!) の試験中、3次でリタイア。



情けないハナシですが
ライバルのあまりのハイレベルさにショックを受け


ここでおもちゃメーカー勤務の夢は
吹っ飛んでしまいます。



そして第2希望の進路である

自動車業界に舵をきり、
地元で新車販売の営業マンに内定。



大学を卒業します。





営業マン時代 ① (2013年~2014年)


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営業職を積極的にやりたがる人は少数ですが


”成功も失敗も一身に背負う”


~が 性分の自分は やりがいを感じていましたし



商談をいかに気持ちの良いモノに演出するか、
どうお客様を攻略するか


プレッシャーもあるなか
7人の同期たちと切磋琢磨し 日々を過ごしていました。







そして運命の電話が……




営業マン時代 ② (2013年~2014年)

母からでした。


2009年以来、5年連絡をとっていなかったので
迷いがあり とりませんでした。


しかし、あまりに着信があるので
当時付き合っていた彼女にうながされ


ようやく電話をとります。




”難病にかかり
余命宣告を受けている”




世界がひっくり返るほどの衝撃。




なんということだ……





そしてボクは会社に事情を話し
看病のため退職します。


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休職の提案もいただいたんですが
じゃあ余命宣告通りにコトが運ぶかといえば

んなワケないし、
そうなられても困るわけですよ (苦笑)



時間は有限。

この時間だけは 目一杯使いたかった。


気づかいに感謝しながら 退職で通します。




フリーター時代 (2回目) ① (2015年~)

母の病名は『ALS』


和名は『筋萎縮性側索硬化症』といいます



聞いたことがあるかもしれません。

全身の筋肉が次第に衰えていく病気です。


5年ぶりに再会したとき 自力で歩いていた母は

時間の経過とともに歩けなくなり



車いす、ベッドで寝たきりと
目に見えて容体が悪化していきました。




”親子の失った時間を取りもどす”、じゃないですが


けして孝行息子でなかったボクは

病気の話を聞いたとき、
今こそ親孝行するときだと奮い立ち 退職を決めたのです。




海、山、川、

桜、紅葉、夜景。


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和歌山県内、県外問わず クルマで走り回りました。


先生の見立てによる目安はあるといえど、

母の病気は そもそも発症原因が不明で

臨床データもまったく不足しています。



実際、残された時間はどれほどあるのやら。





走れ 走れ 走れ!!!!!


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母が歩けなくなれば

面倒見のいい先輩が
知人の介護業者から車いすを手配してくれました。


ボクのクルマはもちろん普通の車輛ですので
搭乗時は抱えこんで乗せます。



外出先ではバリアフリーのありがたみ、
めちゃくちゃ感じましたね。


京都 清水寺は
身体が不自由な人のため、

事前に電話を入れておけば
通常は閉鎖している 緊急車両用の通路から入場できます。

清水寺のすぐ近くまで車で行けるのです。



飲食店もバリアフリーに対応しているところは

テーブルが車いすの高さに合わせて設計されているので
椅子をぬけば そのまま突っ込めます。




他人事で まったく関心のなかったことが
すごく刺さる。なんてありがたいッ!!


そして連絡がきてから
およそ1年が過ぎた ある日、

母は亡くなりました。




フリーター時代 (2回目) ② (2015年~)

母から病気を聞かされ
数年ぶりに再会したのが 2014年8月、

そして退職したのが同年10月。



母には事前に伝えてありましたが

改めて退職したことを伝えると
そりゃもう めちゃくちゃ心配させました。



そして看病、といっても 母は入院していたので

食事のフォローや必要物資の買い出し、
病院手続きのフォローなどですが


病院に通うこと約2カ月、大晦日を前にした頃。



偶然 警察官の
採用募集ポスターが目に留まります。



そう、大学時分

家出少女の一件で関心を持った警察官。




しかも説明会が1月前半と、
絶妙なタイミングで予定されている……



母はボクを心配して正職復帰を望んでましたので

警察官がアタマにこびりついて離れませんでした。



しかも警察官なら
仮に試験に合格しても 翌年度採用なので

( 毎年2回、前期5月・後期9月 )


十分 時間もある。



”やるしかねぇ”


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そして現在~

その後の顛末ですが、

人生はドラマのようにいきません。



和歌山県警、大阪府警、

あわせて8回受けましたが


けっきょく合格を勝ち取ることはできませんでした。


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満身創痍。完全燃焼。

未練はありません。




母に制服姿を見せることは叶いませんでしたが

未練はありません。



真剣勝負の世界、


ボクの実力・熱意不足ですので。






最後に!

ボクは母の死をキッカケに
人生の不確かさを思い知りました。



『一寸先は闇』
といいますように、


いつ何が起こるかわかりません。



将来というより、明日さえどうなるかも

本当はわかりません。



何かを始めるにあたり

『いつか』が良しとされないのは


もしかすると そのような人生の不確かさも

含まれているのかもしれません。






人生は1度、人生は刹那。


仮に 今日死ぬことになるとしても


最善を尽くしている道中であれば

それはきっと最高の今日なんです。



一方、やらない理由を引っ張り出しては

来もしない『いつか』に最善を投げてしまったとき。



きっと今日死ぬ瞬間、

後悔にまみれて ツケを払うんだろうなって。





さぁ、アナタはどう生きますか?



迷おう、そして決断しよう。

明日じゃなく、今日に。



#「迷い」と「決断」

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最後までお読みいただき
ありがとうございました!




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