『ナオキ・ニシガキ 独立の道』

めざすは和歌山きっての『フリーランス』、“働く”を考え、“和歌山” を伝える 優しいテロリストの犯行声明ッ!

【第109話】【読者さんへ~】ナオキ・ニシガキという男【後編】




『情熱的 自己陶酔ブロガー』

 ナオキ・ニシガキです!




前回お読みいただいた方、
大長編にもかかわらず ありがとうございました!



ボカぁですね、
このブログを読んでくれるアナタとお会いできて

本当にうれしいです!



発信者って みんなこんな気持ちじゃないですかね。

熱くなってくるわ……(笑)




このブログはこんなヤツが書いてます。

ただそれだけのことを
前後編 計2万字にかけて書き殴った


自己満足スペクタクル!





”I'm NISHIGAKI”




言葉に思いを乗せるだけだ。





目次~

大学時代(1回目、2006年)


大阪産業大学 (1回目)



そう、"1回目" 。


つまり2回目があるのです。




小学生の頃に
将来の夢を『おもちゃ屋さん』と書き、

その後 少し脱線しつつ


最終的に 将来の夢は

『おもちゃの企画・開発』に変化していました。




高校で進路を考えたとき、

美大に行くか ふつうの4年制大学に行くか迷いましたが

結果は安パイをとって後者を選びました。
( つまらん男めッ!!!! )



しかし、やっとの思いで大学に進学したものの、



半年で退学。
 (!!!)



まぁ、当時の家庭の事情ってやつです。




以後2年半ほどフリーターに。




フリーター時代 (1回目)


2007年、二十歳。


人生初の彼女ができます。


バイト先のコでした。





…がッ




盲目的になりすぎたこと、

その他もろもろで



家族、友達、バイト先、

周囲に大迷惑をかけます。



限りなく黒歴史に近い思い出 (爆)






しかし、

線香花火のごとく "瞬間" に全生命を燃やした、

わずか6ヶ月の 熱狂的な恋愛は


その後の自分の生き方を変える

大きな転機になりました。




●もっと "自分" をもつこと。

●自己肯定すること。

●群れずに行動できるようになること。



周囲からの評判は最悪でしたが


お嬢さま育ちで
怖いもの知らずなあのコは

自分にないものであふれていて


いつしか自分のヒーローになっていました。



"人生を変える出会い"



そんなものがボクにも人並みにあったとすれば

まさしくコレがそう。





ただしッ!!!!





諸般の事情で
二度と会いたくはない(笑)





時間経過で美化されている部分が
大きいとしても (笑)


後にも先にも これほど印象的で
熱い出会いはありません。





思い出は思い出のままに。

PEACE★ (合掌)









そして 2年後の2009年、

母は家を出て ボクらと別居します。


以後 数年、連絡をとりませんでした。



色々あったのですが
ボクも原因のひとつでした。


この頃、ボクは少し荒れていたのです。

バカめ……





大学時代(2回目) ①



前回と同じ 大阪産業大学に再入学!!


数年越しの再入学は 創立以来初の快挙!



やったぜッ!!! (笑)




そして、



このしぶとさッ!!!!!




すべては おもちゃの開発職に就くため、

業界最大手『バンダイ』をめざすためにッ!!!!!
( 高卒では採用試験の参加資格がなかった )



一方 2度目の大学生活では
50人超のイベントサークルを主宰。




きっかけは一緒に部活見学にまわった
Hくんの気づきから。



めちゃくちゃ楽しんでる部員と
そこに入り込めずにいる部員との温度差。


学生時代によくある

『自分達だけ楽しければいい』的な光景を

問題視したHくんの発案によって



ハブれてしまうコを出さないサークル、

輪に入れずにいるコがいれば
周りが気づいて 迎え入れてあげられるサークル、


"こたつでみかんを食べているときのような
       居心地のいい みんなの場所"



そういう願いを込めて イベントサークル、

『こたつみかん』誕生。ダサい (笑)





※ みんなでサークルの勧誘!カモンベイビー★



そう!思いは届いたッ!!


ウェーイ系、ノーマル系、オタク系。


おそらくふつうに過ごしていたら
一生関わることのなさそうな者同士ッ (笑)


幕の内弁当みたく
バラエティ豊かな面々のコミュニティが形成!


誕生日会、飲み会、学祭、旅行、BBQ、恋愛。


楽しいキャンパスライフを
みんなで共有できました。


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女子ッ!一緒に写んのイヤかッ!(悲報)







そして 少し案内になりますが


そんな こたつみかんのコンセプトに
通じるものを感じたのが


ブログ仲間の mio (id:mio_tsukushi) さんによる



クラウドファンディング。


www.arafoneet.com



元ひきこもりというmioさんが


群馬県 太田市に

諸般の事情で『生きづらい人』たちが集える
喫茶店を開業すべく


勇気を出して応募されました。



いいヤツぶってるみたいで言いたかないですが

人に紹介する以上、ボクも支援させてもらってます。


興味を持っていただけた方は
こちらのブログをご覧になってみてください!


もっかいペタッ!(笑)


www.arafoneet.com





大学時代(2回目) ②


前述した彼女の影響によって
自分を変えようと躍起になっていたこの頃、


学生生活に並行し

サークルの立ち上げ、
ボランティア活動、ひとり旅、



これまで受動的に過ごしてきた自分には

無縁であった これらの取り組みを
自発的に始めてみます。




東日本大震災の復興支援ボランティア、

岩手県 大槌町へ。




その後 和歌山南部での台風による被災支援、

祭事のスタッフに参加。



※ 和歌山『竹燈夜 祭り』〜 ⇩
( 毎年10月、和歌山城にて開催〜 )




すべて個人的に参加してたので
周りは当然 はじめましての人ばかり。

そして それが功を奏しました。



高校時分、不可能と思われたチームワークは

これらの経験を通じて改善されましたね!






ひとり旅、原付で和歌山1周。

野宿しながら3日かけてのんびりと。



『橋杭岩』



『那智の滝』



ターコイズブルーな 新宮の川!(笑)



※ 野宿した 『道の駅 なち』




※ 店舗側面のこのへんに ゴロ寝。
羞恥心ゼロ(笑) ⬇︎

じつは和歌山1周は
後日 もういちどやりました(笑)

この写真はそのときのもの。



『道の駅 なち』ホームページ〜⬇︎

- 和歌山県 那智勝浦町 - 道の駅なち




……が、意外と調子よくすすんでしまい


奈良まで遠征(笑)




ここで後々の進路につながる出会いが……





ヤンキーの聖地 (偏見)、湘南にも降臨!
酒の肴 (さかな) に読んでね!


www.naoki-nishigaki-dokuritsu.com




大学時代 (2回目) ③

深夜0時を前にしたJR奈良駅 、


今夜の寝床を探していたボクは
夜風に吹かれ 駅前の広場で腰かけていました。



じつはこのとき、ひと際 異彩を放つ

謎の存在に目を奪われていたのです。




駅前広場のベンチ、
長い髪をたらし 腹を抱えるようにうなだれる


”謎の貞子”
(失礼)





確実に浮いてたんですよね!


帰宅するサラリーマンが
たまに声かけるも 反応はありません。

やがて みんな去っていきます。



実はこの光景、

1時間ほど黙って見てたのがボクです (おい!)



ついに誰もいなくなり、意を決して声をかけます。

怪しまれぬよう学生証を提示しながら いざッ!




「おいキミ、大丈夫か?」









なんとそのコは17歳の女子高生でした。



こんな時間に なぜひとりで。

理由は以下 ⇩


●母子家庭、母の連日の暴力に耐えかね 家出してきた。

●友達には事情を知られたくないので 頼るアテもない。





ニシガキ、
ショック……






なんということだ…、
テレビの世界のハナシだろ こんなのは。



えらいこっちゃ! えらいこっちゃ!

えぇい落ち着けッ!
もはや このままサヨナラとは言えまい!




とりあえず近所のコンビニで買い物し
食事を与えます。



そして アテがないなら
せめて自宅に帰るまではと思い、

そのまま朝6時まで 駅で話して過ごしました。



睡魔に根負けした女子高生は ようやく帰宅の決意。

有事の際はと、連絡先を書いたメモをわたし


サヨナラします。





そして後日、警察にはそのような虐待行為を取り扱う

『生活安全課』があることを知り、

ボクは関心を寄せるのです。


( しかし おもちゃ業界への夢がすでにあったので
     当時は警察官をめざしませんでした~ )




そう、警察に行けば保護もしてもらえただろうし

解決の糸口になったかもしれません。


でもボクはそのときアタマが回らなかった。

後悔しています。



後日 お礼の連絡をもらいましたが

きっと なんの解決にもなっていない。




大学時代(2回目) ④

就職活動。





ボクは入学前から自分の進路を考えていたので

大学の就活センターに世話になることもなく


黙々と1人で行動し、
業界最大手のおもちゃメーカー、バンダイに応募。




全6次 (!!) の試験中、3次でリタイア。



情けないハナシですが
ライバルのあまりのハイレベルさにショックを受け


ここでおもちゃメーカー勤務の夢は
吹っ飛んでしまいます (合掌)



そして第2希望の進路である

自動車業界に舵をきり、
地元で新車販売の営業マンに内定。



そして大学を卒業します。





営業マン時代 ①


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積極的になりたい人は少数の 営業職ですが


”成功も失敗も一身に背負う”


…が性分の自分としては やりがいを感じていましたし



商談をいかに気持ちの良いモノに演出するか、
どうお客様を攻略するか

プレッシャーもあるなか
楽しみながら日々を過ごしていました。




同期が8人と、
多い部類であったのも大きいですね。



いつぞや書いたKくんは その1人です。




オレ様気質の 生意気なヤロウなんですが


誕生日会、送別会、退職後の交流、

いつも企画してくれるのがこの男。


仲間思いの憎めん男なのです。


※Kくんの憎めなさはコチラから~⇩

www.naoki-nishigaki-dokuritsu.com



※ そんな憎めんKくんのお姫様に誕生日プレゼント~⇩




そして運命の電話が……




営業マン時代 ②

母からでした。


数年 連絡をとっていませんでしたが

あまりに着信があるもので
当時付き合っていた彼女にうながされ


電話をとります。




”難病にかかり
余命宣告を受けている”




世界がひっくり返るほどの衝撃。




なんということだ……





会社に事情を話し 看病のため退職します。


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休職の提案もいただいたんですが
じゃあ余命宣告通りにコトが運ぶかといえば

んなワケないし、
んなワケいかれても困るわけですよ (苦笑)


気づかいに感謝しながら 退職で通します。



営業職では 帰宅時間がまばらで
お客様からの問い合わせで休日出勤など

どうしても融通が利きづらかったからです。




フリーター時代 (2回目) ①

母の病名は『ALS』


和名は『筋萎縮性側索硬化症』といいます



聞いたことがあるかもしれません。

全身の筋肉が次第に衰えていく病気です。


数年ぶりに再会したとき 自力で歩いていた母は

時間の経過とともに歩けなくなり



車いす、ベッドで寝たきりと
目に見えて容体が悪化していきました。




”親子の失った時間を取りもどす”、じゃないですが


けして孝行息子でなかったボクは

今こそ親孝行をするときだと奮い立ちました。




海、山、川、

桜、紅葉、夜景。


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和歌山県内、県外問わず
クルマで走り回りました。


先生の見立てによる目安はあるといえど、

母の病気は そもそも発症原因が不明で

臨床データもまったく不足しています。



実際、残された時間はどれほどあるのやら。





走れ 走れ 走れ!!!!!


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母が歩けなくなれば
T師匠が知人の介護業者から車いすを手配してくれました。


ボクのクルマはもちろん普通の車輛ですので
搭乗時は抱えこんで乗せます。



外出先ではバリアフリーのありがたみ、
めちゃくちゃ感じましたね。


京都 清水寺は
身体が不自由な人のため、

事前に電話を入れておけば
通常は閉鎖している 緊急車両用の通路から入場できます。

清水寺のすぐ近くまで車で行けるのです。



飲食店もバリアフリーに対応しているところは

テーブルが車いすの高さに合わせて設計されているので
椅子をぬけば そのまま突っ込めます。




他人事で まったく関心のなかったことが
すごく刺さる。なんてありがたいッ!!


そして連絡がきてから
およそ1年弱の ある日、母は亡くなりました。




フリーター時代 (2回目) ②

母から病気を聞かされ
数年ぶりに再会したのが 2014年8月、

そして退職したのが同年9月。



母には事前に伝えてありましたが

改めて退職したことを伝えると
そりゃもう心配させまくりました(笑)



そして看病、といっても
母は入院していたので 食事のフォローとか

必要物資、手続きのフォローなどですが
病院に通うこと約2カ月。大晦日を前にした頃。



偶然 警察官の
採用募集ポスターが目に留まります。



そう、大学時分

家出少女の一件で関心を持った警察官。




しかも説明会が1月前半と、
絶妙なタイミングで予定されている……



母はボクを心配して正職復帰を望んでましたので

警察官がアタマにこびりついて離れませんでした。



しかも警察官なら
仮に試験に合格しても来年度採用なので

( 毎年2回、前期5月・後期9月 )


十分 時間もある。



”やるしかねぇ”


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そして現在~

その後の顛末は これまで書いてきました通り。



和歌山県警、大阪府警、

あわせて8回受けましたが


けっきょく合格を勝ち取ることができず(合掌)


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本気の合掌です。往生しました。

未練はありません。




母に制服姿を見せることは叶いませんでしたが

未練はありません。


ボクの実力・熱意不足ですので。




2015年、警察官採用試験 初挑戦のさなか

以後 2018年末までお世話になる
物流会社に行きつきます。


ここでのキャリアは
警察浪人のキャリアでもあるのです(笑)



そこで人生のもうひとりの師匠、M師匠に出会い

ボクは後々 お金や労働観に変化をむかえます。



そして当ブログの熱狂的サポーターの上司も

以来のおつき合いになります♪


※物流会社での日々にも 物語あり!
 あわせてどうぞ~⇩

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最後に!

長々と書いてきましたが
更新を楽しみに待ってくださった方、

ツイッターから流れてきてくださった方、


本当にありがとうございます!




ボクは母の死をキッカケに
人生の不確かさを思い知りました。



『一寸先は闇』
といいますように、


人生は何が起こるかわかりません。



将来というより、明日さえどうなるかも

本当はわかりません。



何かを始めるにあたり

『いつか』が良しとされないのは


もしかすると そのような人生の不確かさも

含まれているのかもしれません。




ですから もしアナタが
何かを始めてみたいと思ったとき


その気持ちを大事にして
今すぐできることをやってみてください。



失敗してもイイじゃないですか!




まぁボクの "警察官8浪" には
なかなか勝てんですよ (爆)









人生は1度、人生は刹那。


仮に きょう死ぬことになるとしても


何かに向かって走っている道中であれば

それって無念じゃないと思うんですね。
どんどん近づいてるから。



でも、なんか悶々してんだけど
何もしない、面倒くさい、しんどい。


何かと理由引っ張り出してきて
現状維持に終始していると


きょう死ぬときに、
後悔にまみれながら 死ぬしかねぇんじゃねぇかって。




やりたいこと やったもん勝ちなんですよ。

誰になに言われてもね。


他人の目も関係ないんですよ。

けっきょく見てるだけなんでね。



”しっかり生きて

しっかり死にやしょう”




これからもよろしくお願いします!

ありがとうございました!




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